たろう氏のブログ

全てノンフィクションです

【あとがき3】

・物語の後に書いた「あとがき」

その「あとがき」の後に書いた「あとがきのあとがき」

その「あとがきのあとがき」のさらに後の物語、「あとがきのあとがきのあとがき」言うなれば「あとがき3」を書くときが来たようである。


・33歳最後の夜、たろう氏はコニタンに告白をした。これはまだ記憶に新しい。

・その行動は一体何を意図していたのだろうか。

・生涯で1番好きになった女性。自分自身の人生を変えてくれた女性。全てを失う覚悟を持って接した女性。

・その全てに当てはまるのがコニタンだった。

・そのコニタンの人間性を慈しみ感謝の気持ちを伝えたい。それがたろう氏の告白の真相だ。

・そして、この告白にはもう1つの目論みがあった。

・それは、コニタンに対する行き場のない想いに踏ん切りをつけることだった。

・現実的に考えれば告白などわざわざする必要はない。飲みに誘ったらたまに来てもらえる程度の仲の先輩後輩の関係でいてもらえればそれで御の字なのだから。

・しかし、いつまでも淡い恋心を持ち続けるのは辛すぎる。結局いつかは気持ちが昂ってそれ以上の関係を求めてしまうだろう。

・それだったらいっそのこと、今の気持ちを伝えて楽になってしまいたい。

・「付き合ってほしい」といった野暮なことを言うつもりはなかった。その答えは聞くまでもなかったから。リアクションが欲しい訳ではなかった。告白したって表面上は何も変わらなくてもいい。

・でも、コニタンならきっと、たろう氏の想いを前向きに受け止めてくれるんじゃないかってと心のどこかで期待をしていた。

・しかし、こう言った行動を独りよがりと呼ぶのだろう。コニタンにたろう氏の思いの丈を理解出来るはずなどなかった。


・告白の数日後、何を思ったかコニタンは突如髪を切った。

・元々切るのがもったいないくらいに短いショートカットだったが、それをさらに短いベリーショートにしていた。

・そして、どこか物憂げな表情を浮かべ明らかに以前とは様子が違っていた。

・たろう氏からの言葉の中に心に響く何かがあったのだろうか。

・あの日以来、コニタンと一言も会話をしていなかったたろう氏であったが、仕事の都合でおじおじとコニタンに話しかけてみた。

・「今日締め切りの資料出せそうかな?」

・その時の彼女の反応はたろう氏が知っているコニタンではなかった。

・顔色が暗い、目を見ない、態度が冷たい、声が小さい、口調がきつい。

・コニタンはあからさまにたろう氏のことを避けたのだ。

・明るい笑顔が可愛かったコニタン。礼儀正しく深々とお辞儀をしたコニタン。穏やかでいつも優しかったコニタン。あの子は一体何処へ行ってしまったのだろう。

・仲睦まじく過ごした夏の出張も2人で食べた晩ご飯も今は昔の思い出。彼女の記憶からはもう消去されているに違いない。

・たろう氏は悲しくなった。自分自身が言い放った「大好きだよ」というたったの6文字の言葉によって、コニタンは変わり果てた姿になってしまった。

・あの時コニタンがたろう氏に見せた笑顔はただの「苦笑い」だったのだ。

・とどのつまり、たろう氏は大好きな子に見事嫌われてしまった。

・こんなに悲しい気持ちになったのは生まれて初めてだ。過去の失恋とは比べものにならないほど辛かった。

・その日以降も仕事中にコニタンから容赦のない避け行為を受け続け、人知れず涙した。

・職場での失恋は身を滅ぼすことも知った。今回ばかりは死のうかと思った。

・本気で死にたくなって「死にたい」とネットで検索したら、無料電話相談の案内がヒットした。


・3月中旬。次年度の部署配属の内示が出され、コニタンは違う部署に異動することになった。

・コニタンの異動は間違いないと確信した上での告白だったが、この日が来るまでの3ヶ月半はあまりにも長かった。

・この状態がもっと長く続こうものなら本気で自害していたかもしれない。

・たろう氏は胸を撫で下ろした。

・ようやくこの苦しみから解放される。本当に良かった。

・しかし、たろう氏とコニタンの間には深すぎる溝が出来てしまった。これから先も仕事で関わる機会は大いにあるのに。

・お互いの仕事を円滑に進めるために、上辺だけでも今の関係性を最低限修復しておかなければいけないのではなかろうか。

・仲直りと言うと少し意味が違う気がするが、長年同じ職場で働いた後輩に先輩からお別れの挨拶くらいしてあげても無礼にはあたらないはずだ。

・そう思ったたろう氏は深酒を飲みながらコニタンにLINEを送った。

・「お疲れさま。前から行きたかった部署に異動が決まって良かったね。」

・「このLINEの返信によってコニタンとの今後の関係性が決まる」そう思うと寝付けなかった。

・気がつくと朝になっていた。ふとスマホを眺めるとコニタンからたった一言返事があった。


・「そうですね」


・画面を見た瞬間、たろう氏は青ざめた。

・この5文字の言葉にはコニタンからの想いの全てが込められていたのだ。

・この言葉は基本的には「同意」を意味する。「あなたと同じように思う。それ以上でも以下でもない」そんな感じの意味だ。

・しかし、この言葉にはたろう氏にとって特別な思い入れがあったのだ。

・たろう氏が入社したてで右も左もわからなかった頃、答えに詰まる質問に対して口癖のように使っていた言葉、それが「そうですね」だった。

・それを見かねたたろう氏の先輩職員は、「たろう氏と言えば、困ったことがあるとすぐ『そうですね』で場を誤魔化してたよなぁ」とたろう氏が成長した今でも酒の肴にしてくる。

・最近は自分でもネタとして扱っており、以前コニタンとした会話の中でも「面倒くさい先輩に絡まれた時とかはとりあえず『そうですね』って言って煙に巻いておけばいいよ」と笑いながら話していたのだ。

・コニタンがたろう氏に贈ったその言葉には「今後あなたと関わりを持つつもりは毛頭ない」という皮肉の意味が込められていたのだった。

・避けられていたのは気のせいだと信じたかった。しかし、甘かった。紛れもない現実を突きつけられたのだ。

・コニタンはついにたろう氏の首を切り落とした。それはあまりにも無慈悲であり優しさを微塵も感じさせなかった。

・そして、首を切り落とされたたろう氏は、ついに理性が崩壊し、ぶっ壊れた。

・「そっちがその気ならこっちも徹底的にやってやるよ」

・以降たろう氏はコニタンから受けた避け行為を倍にして返した。

・「可愛さ余って憎さ百倍」とも言うが、まさにその通りだった。たろう氏のコニタンへの愛情は、その全てが完全なる嫌悪感となってしまったのだ。

・大人しく性格が良い様に見える女性も所詮はただの女。こと男女の関係において、優しい女などこの世に一切存在しないのだ。

・どうしてこんなにも憎らしいのだろう。奴の精神がズタズタになるまで傷めつけてやりたい。

・ほんとムカつくよなぁ。生意気なんだよ。どっからどう見ても処女のくせに。偉そうに。お前なんか一生誰からも抱かれないわ。死ねよブス!

・コニタンに対して憎悪感を抱くことがたまらない快感になってしまった。

・迎える4月1日、お別れの挨拶をすることもなくコニタンは次の職場に去っていった。

・コニタンからの最後のLINEは今でも既読無視したままにしている。


・この半年余りの間、本当に色々なことがあった。毎日悩んでばかりだった。でも、なんだかものすごく刺激的で感情的な日々だった。

・コニタンという女性と関わる中で自分自身の生き方考え方が変わった。

・コニタンがいなければ、たろう氏は家庭に押し潰され消えてしまっていたかもしれない。

・コニタンがいなければ人を愛するという感情を二度と思い出せなかったかもしれない。

・結果的にたろう氏の夫婦仲は改善され、今では2人目の妊活に励んでいる。

・これで良かったのだ。コニタンはたろう氏を正しい道に導いてくれたのだ。

・コニタン、あなたは私の人生の中で1番私を狂わせ人間らしくさせた人です。嫌いになるまであなたを好きになることができた。ようやく前に進むことができそうだ。


・「さようなら、コニタン。...大っ嫌いだよ。」


(3度目の)完

【蕎麦屋の姐さんのお話⑤】

・しとしとと弱い雨の降る中、傘を差しながら今日もあの蕎麦屋に向かうたろう氏。

・「いらっしゃいませ!」姐さんのそのお声を聞けただけで、今日は雨の中来た甲斐があった。

・傘を畳みゆっくりメニュー表を眺めると、そこにはまだ注文したことのないメニューがあることにたろう氏は気がついた。

・「カレー南?なんだろこれ?」

・このメニューが気になったので、おそらくこれのことだろうと思い切って姐さんに注文をした。「カレー南、ばん?ください。」

・すると姐さんは「はい!カレー南蛮ですね!」と当たり前のように受け止めてくれた。この業界ではこれが一般的な表記なのだろうか。

・注文が入り、いつもの如くせっせと配膳の準備を始める姐さん。いつもの如くじっとり姐さんに見惚れるたろう氏。

・ここは調理時間が長ければ長いほど顧客満足度が上がる世にも珍しい店だ。

・やっとこさ出来た料理をお盆に乗せて運ぶ姐さん。ぽつんと呟いた「あっ!おしんこ乗せるの忘れてた!」というおっちょこちょいな独り言がとてつもなく可愛かった。

・「おしんこ」という和語がこの蕎麦屋の姐さん以上にしっくりくる女性はこの世にはまずいなかろう。姐さんの魔法の言葉がかかれば、おしんこは箸休めではなく主菜となる。

・そして、相も変わらずここの料理は美味い。「カレー南」という名のカレーうどんならぬカレー蕎麦を今回初めて食べたが、麺つゆの出汁が溶け込んだカレールーに蕎麦をしっかり浸せながら味わう極上の一品であった。

・しかしながら、欲張りなたろう氏はまだどこか物足りなさを感じてしまっていた。

・「最近姐さんとあまり話が出来てないなぁ...。」

・いやいや、それで当たり前である。ここは居酒屋スナックなどではない。食事を提供するだけのただの普通の蕎麦屋なのだ。

・「姐さんに話しかける勇気がない...。もっと姐さんとの会話のきっかけとなるネタがあればなぁ。」

・そう思いながら店を出ようとすると、

・「お兄さーん!傘忘れてる!」と姐さんに笑顔で引き留められ、「あっ!ありがとうございます(照)。」とたろう氏は逃げるように店を後にした。

・突然の不意打ちを喰らい、帰り道傘を差すたろう氏は姐さんのことで頭が一杯になったとさ。

・どんな蕎麦屋だよ


つづく

【蕎麦屋の姐さんのお話④】

・在宅勤務の束の間の昼休み、軽い足取りで今日もあの蕎麦屋に向かう。

・「ガラガラっ」引き戸の入り口を開けたそこには少し久しぶりに見る姐さんの御姿があった。

・「おっ!今日姐さんいるじゃん!やった!」たろう氏は心の中でグッと拳を握りしめた。

・いつもの如く蕎麦+ミニ丼のセットを姐さんに注文するや、相変わらずの姐さんの美貌にすっかり見惚れてしまっている自分がいた。

・「やばい。今日も姐さん綺麗だなぁ」

・などと悦に浸っていると、「ガラガラっ」と高年男性客(推定70歳前後)がお店に入ってくるなり親しげに姐さんに話しかけた。

・「おっ!今日は●●ちゃんがいるね!やっぱり別嬪さんがいるお店はいいね〜」

・何とも昭和の香り漂うおっちゃんだ。今となっては煙たがれる不適切気味な香りに、たろう氏は思った。

・「いいこと言うね」

・実際に別嬪さんがいるだけでそのお店の魅力は5割増しになると言ってもいい。さすがおっちゃん、よくわかってる!それを言いたかったんだ!

・そして姐さんのことをまさかの名前呼び。長年通い詰めている感じが伝わってきた。肝心の名前をよく聞き取れなかったのが何とも口惜しい。

・いつか必ず姐さんの名前を聞き出して自分も姐さんを名前呼びしよう!たろう氏はそう誓った。なお、これはストーカー行為ではない。近隣商店との親睦である。

・それはさておき、そんなおっちゃんの戯言に対し姐さんはこう答えたのだ。

・「またまたぁ!そんな事言ってくださるのは●●さんだけですよ〜」

・なんとまぁ100点満点の返事だ。みんなからいつも言われているに違いないのに、何とも上品で別嬪さんならではの処世術を感じた。やっぱり姐さんは最高の女性だ。

・こういう昭和のノリには昭和のノリで返すのが1番。相手の気持ちを善意として受け止め場の空気を壊さないような返答をする。これこそが真の心遣いなのだ。

・男性が粋なちょっかいを出し、女性が余裕のある心遣いで応える。この両者の絶妙なバランス感覚によって昭和という時代は成立していたのだろう。事あるごとに不適切だのハラスメントだの叫ぶだけの令和の時代は世知辛く人として情けない。

・今になっても昭和の店に昭和の人がいて昭和の会話をしている。これこそが人間の本来あるべき姿なのだ。

・そう強く感じた平成生まれのたろう氏なのであった。


つづく

【蕎麦屋の姐さんのお話③】

・たろう氏のルーティン、それは月に1回程度設けられている在宅勤務の日の昼休みに例のあの蕎麦屋に足を運ぶことだ。

・無論、お目当ては美味しい蕎麦だけではなく。

・会いに行ける蕎麦屋の別嬪姐さんである。

・しかし、3回目の来店はたろう氏にとって不安でしかなかった。

・と言うのも、前回あまりにも親しげに接してくれた姐さんだったが、それはあくまで齢3つの可愛い息子を連れていたからのこと。たろう氏が1人で来ていてもこの前の様には声をかけてくれないのではなかろうか。

・実際にその様な対応の店員はよくいる。スーパーの店員然り、クリーニング屋のオバチャン然り。子どもがただ可愛いだけで、たろう氏1人の時は人が変わった様な塩対応だ。たろう氏があのいつも来る可愛い子どもの親だと気づいてすらいないのかもしれない。


・そんな不安を胸にそっと扉を開けると、「いらっしゃいませ!」と姐さんのいつもの明るい声が聞こえてきて少しほっとした。たろう氏が席に座ると姐さんはメニュー表を持ってくるなり、たろう氏にこう尋ねた。

・「今日はお子さん保育園ですか?」

・「!?...はい!保育園行ってます!」

・「(にこっ)お兄さん今日は身軽でいいですね」

・「(デレデレしながら)あはは...。」


・ちょっとしたやり取りだが、飛ぶほど嬉しかった。姐さんのこの対応はたろう氏のことをしっかり覚えてくれていて、常連客として認めてくれた証だと感じた。

・地元に居場所がない様に感じていたたろう氏は生まれて初めて自分の隠れ家ができた様な気持ちになっていた。

・美味しい蕎麦が食べられるだけじゃない。美しい姐さんに会えるだけじゃない。この店が与えてくれるものは生まれ故郷に対する郷土愛なのだ。

・この街に生まれて良かった。心からそう思わせてくれる銘店に巡り会えたことがとても幸せだ。


・その後もたろう氏はこの店に通い続けている。時には姐さんがお休みの日もあるが、それでもこの店はいつでもたろう氏に安らぎと癒しを与えてくれる。

・正にたろう氏の心と暮らしの「そば」にある店だ。


つづく

【蕎麦屋の姐さんのお話②】

・「ほら、着いたよ!」

・この日はたろう氏の長男の蕎麦屋デビューだ。ファミレスにはよく連れて行くが、この蕎麦屋さんのような個人経営のお店は今日が初めて。我が子もどこか不思議そうな面持ちで辺りを見回していた。

・灰原嫁の仕事の都合上、昼食は2人で外で食べてきてほしいとのことだったので、たろう氏は迷わずこの蕎麦屋に足を運んだ。

・店の扉を開けると、客はまだおらず、あの姐さんが椅子に座って新聞を読みふけていた。何とも蕎麦屋らしいワンシーンである。

・そんなリラックスモードの姐さんだが、ふと、初めて見る小さなお客に気がつくと満面の笑みで近寄り話しかけてくれた。「あら〜!可愛いわね〜!!いらっしゃい!」

・我が子も満面の笑みで姐さんを受け入れた。どうやらたろう氏と同様、一瞬で姐さんの虜になってしまったようである。さすがは姐さん、あなたは老若男女誰からも愛される別嬪さんです。

・「座敷使わせて頂いても宜しいですか?」と言うと、「もちろんどうぞ!」と姐さんは快く案内してくれた。大人数向けに用意されている座敷だが、子連れだと多少の我儘は許されるものだ。

・我が子の好みそうな唐揚げの定食を頼むと、ご飯ができるまでの空いた時間に姐さんはひっきりなしに2人に話しかけてくれた。「この子は保育園に通ってるんですか?」「え!●●保育園!?あたしと同じだ!」「ぼくはおばさんの後輩なんだね!」

・超絶美人なのに、子どもの前ではへりくだって自分のことを「おばさん」と言う当たりとても奥ゆかしい。

・「おばさんなんかじゃなくてとても綺麗なお姉さんですよ」とでも言っておくべきだったのだろうか。いや、たろう氏にそんな勇気はなかった。

・食事の合間にも「お水足りてるかな?」など姐さんは我が子のことをとても気にかけてくれた。姐さんは子どもが大好きな人なのだ。

・さらに食事を食べ終わった後は、我が子の我儘に付き合って電車の本を一緒に読んでくれた。「この電車は何て言うの?そうなんだ!おばさん知らなかったよ!」「うちの子も小さい頃電車が好きだったのよ〜懐かしい。」...姐さん歳いくつなんだ?

・お客さんは他にも何人か来ていたが、まるであなた方とこの子とでは優先順位が違うと言わんばかりに姐さんは我が子にベタ惚れだった。客は近所のお年寄りばかりなので、子どもの客は可愛くて仕方がないらしい。

・「このくらいの歳が1番可愛いのよね〜」「どんな言葉を使っていたか記録残しておくと良いよ〜」「●●保育園のことこれからも色々教えてね!」など姐さんはこれでもかというくらいたろう氏に話しかけてくれた。

・嬉しい!嬉し過ぎてパンクしてまう!憧れの姐さんとこんなにたくさん会話ができるなんて。まさか、我が子がこんな形で幸せを運んできてくれるとは!でかしたぞ坊主!

・たろう氏は姐さんからの問い掛けにタジタジになりながらもとても幸せな時間を過ごした。

・「ご馳走様でした!また(この子を)連れてきますね!」とたろう氏が会計に向かうと、「また来てね!」と言って姐さんはお土産にうまい棒を我が子にプレゼントしてくれた。

・「良かったね!お姉さんにありがとうは?」と我が子に言うと、「あぃがと」と小さな声が聞こえた。

・「あはは」と微笑む姐さんに見送られながら、お腹いっぱいのたろう氏と我が子はしっかり手を繋いで家まで歩いて帰ったのであった。


つづく

【蕎麦屋の姐さんのお話① 】

・たろう氏の住む閑静な住宅街の片隅には50年近く続いている昔ながらの蕎麦屋がある。

・実家暮らしのたろう氏は、30年ほど前からその蕎麦屋の存在を知っていたが、あまりの近さ故に食べに行ったことはなかった。

・しかし、この歳になりもっと地元に親しみたいという想いが芽生え、心機一転その蕎麦屋の門をくぐることにした。

・店の外装は古いが、未知なる店内には趣深い木の机と畳の座敷のある居心地の良い和の空間が広がっていた。いかにもと言った具合の古き良き日本の蕎麦屋だ。

・しかし、ここはただの蕎麦屋ではなかった。片田舎のこの店には街一番(たろう氏調べ)の美人店員さんがいるのだ。

・その人はとにかく美しい。料理を運ぶ立ち居振る舞いさえも美しく、接客時に見せる笑顔が眩しすぎる。芸能人で例えるなら倉木麻衣を和風にしてより美しくより上品にした感じのイメージだろうか。

・また、その人は年齢不詳だ。若々しく見えるが40前半〜下手すれば50近くなのかもしれない。真の美人には年齢など関係ない様である。

・そして、その人は色気が凄まじい。エプロンを着ているだけでも店内をほとばしる色気。愛される喜びを知り尽くした女性の顔というものは艶っぽく自信に満ち溢れている。

・何百何千という殿方からの寵愛を受けてきたであろう女性。人はそれを「別嬪」と言うのか。

・なお、この店員さんの別嬪具合は食べログのコメントにもしばしば書かれているほどだ。

・閑静な住宅街にも関わらず、この老舗にはひっきりなしに客が来て店員さんとの会話を楽しんでいる。まるで甘い蜜に導かれる兜虫のごとし。

・そうか、その美貌により客を呼び込む存在、それを「看板娘」と言うのか。

・たろう氏は一瞬でこの姐さんの虜になっていた。


・「なんて美しい人なんだろう...。」姐さんに見惚れていたたろう氏はいつまで経っても注文を決められないでいた。

・うっかり姐さんと目が合うと、「あ!お決まりですか?」とあろうことか、誤解した姐さんはたろう氏の元に近寄ってきた。

・「ごめんなさい、まだ決まってないです...。」突然憧れの姐さんに話しかけられドギマギしたたろう氏の声は少し震えていた。

・ヤバい!早くも好きなのバレた!!たろう氏はそう思った。相変わらずのガイジっぷりである。

・沢山あるメニューに悩んだ挙句、盛り蕎麦とミニカツ丼のセットを頼んだ。

・店の大将が料理を作る間、姐さんはせかせかと忙しそうに何か作業をしていた。しかし、そんな中でもたろう氏のグラスの水が少なくなるのに気がつくとすぐさまお代わりを注いでくれた。姐さんは美しいだけでなく、接客も一流なのである。

・しばらく経つと、姐さんが極上の笑顔とともに料理を運んできてくれた。なんとまぁ贅沢な昼食であろうか。食べるのが惜しいくらい綺麗に並んだ料理であった。

・「うま...。」こんなに美味い蕎麦を食べたのは生まれて初めてだった。そうか、これを「蕎麦」と言うのか。この店では実に多くのことを教えてくれる。

・蕎麦だけでなくミニカツ丼もなかなか美味だった。なるほど、ここの大将腕は間違いない様だ。

・蕎麦を食べ終わる頃になると、「蕎麦湯をどうぞ。」と絶妙のタイミングで姐さんが蕎麦湯を持ってきてくれた。姐さんは全ての客に目配りをし店の状況を俯瞰しているのだ。接客業の鑑である。

・料理の旨みを最大限に引き出す風情ある空間、舌鼓を打つ絶品蕎麦定食、そして極上のおもてなしを提供する別嬪姐さん。これらが三位一体となって1つの食文化を形成している。日本が世界に誇るべき名店はたろう氏の自宅から徒歩2分の場所にあった。

・何でもっと早く気がつかなかったのだろう!子どもの頃から知っていた店なのに!いや、死ぬ前に気づけただけでも良かったと思うことにしよう。


・楽しい食事の時間も終わり、後ろ髪を引かれながらもたろう氏は姐さんの元にお会計に向かった。

・「ご馳走様でした。」そう言うたろう氏の目は姐さんにサインを送っていた。

・〜姐さん、素敵過ぎです!また会いに来ます!〜

・「お会計●●円になります。ありがとうございました!」そう言う姐さんの目もまた、たろう氏にサインを送り返していた。

・〜あららお兄さん、こりゃ完全にあたしにホの字だね。バレバレだよ?姐さんは何でもお見通しなんだからね!また来てね!〜


・たろう氏に行きつけのお店が出来た。


つづく

【あとがきのあとがき】

・たろう氏の33歳には続きがあった。


・10.13バズーカによって終了したと思われたコニタンとの関係だが、実はたろう氏の思い過ごしであり、2人の関係は表面上(社会人の振る舞いとして)は何も変わっていなかったのである。

・遅ればせながら11月中旬に開催された課の飲み会で、たろう氏は以前と同じ様にコニタンと楽しく会話ができた。

・「やっぱりコニタンってかわいくて超いいやつだよな」率直な気持ちとしてそう思った。

・さらにコニタンは見かけによらずかなりの大酒飲みという説まで浮上し、これはまた飲むしかないという結論に至ってしまった。


・これを機にたろう氏は忘年会として職場内でのグループ飲みを画策。参加のハードルを下げた上で改めてコニタンを誘うことにした。

・しかし、また誘いを断られるのは怖い。痛みを最小限に抑えるため、コニタンの招集については女性陣の幹事にお願いすることにした。

・たろう氏を含めた男性陣3人女性陣3人のメンバーが飲み会の参加候補に上がったが、この飲み会はかなり異質なメンバー構成だった。

・男性陣は33歳のたろう氏(全体幹事)と40歳の先輩、さらには46歳の先輩で、女性陣は50歳超のやんちゃなおばちゃん(女性陣幹事)と26歳のコニタンの同期職員、そしてコニタンだ。

・このお誘い、自分がコニタンの立場なら絶対に断るだろう。職場の飲み会とはいえ何が悲しくてわざわざオジサン達3人(決してイケメンではない)の相手をしなければならないのか。メリットは特にない。

・コニタンを飲みに誘うというたろう氏の夢を叶えるのは容易ではない所業に思えた。

・しかし、どうしてもまたコニタンと同じ時間を過ごしたい。たろう氏の心にはコニタンに伝えたい想いが募っていた。

・この気持ちを胸の内に留めておくわけにはいかない。たとえどんな結末になったとしても、コニタンには自分の想いを伝えるべきだと思ったのだ。

・神にすがる想いのたろう氏は、車を飛ばし香取神宮までお参りに行った。コニタンとの今後の関係性向上についてお祈りし、さらには「心願成就」と書かれたお守りまで買って帰った。今やれるだけのことはやった。後は天命を待つだけだ。

・その翌日、お守りは早くも効力を発揮した。「コニタン来れるそうです!」という奇跡的な返事がやんちゃなおばちゃんから来たのである。

・再び訪れた千載一遇の機会。たろう氏は9月の陸上競技大会の時の様に万全の準備を施し、来たるときを待った。

・会の何日か前にコニタンは体調不良で休暇を取る等ドタキャンフラグを立てつつも、当日は予定通り来てくれた。

・そして、飲み会は大いに盛り上がった。異質なメンバーではあったが、メンバーの相性が良ければ飲み会に年齢は関係ないのだと思った。気がつけば1つのお店に4時間以上入り浸っていた。


・飲み会を散会し、いよいよここからが本番である。

・名幹事たろう氏の策略により、飲み会のお店はたろう氏とコニタンが同じ電車で帰れる場所にセッティングされていたのだ。

・駅で他のメンバーと別れ、電車内で久しぶりにコニタンと2人になることが出来た。飲み会の時に出たネタなどで何となしに話を続けていたが、コニタンの最寄駅に着く直前にたろう氏が話を切り出した。

・「駅着いたらちょっとだけ話してもいい?」

・2人は駅のホームに降りると、人のいないベンチに腰を下ろした。なお、ホームのどこにベンチがあるかは事前調査済みであり、電車の乗る車両もたろう氏の計画通りだった。

・また、敢えて駅の改札を出なかったのは、既婚者と一緒にいることを見られトラブルに巻き込まれたくないというコニタンへの配慮である。

・帰りがけにたろう氏とコニタンがこの電車に乗り込むところを他のメンバーも見ている。電車内は人混みだし、改札を出た記録もない。この状況下なら仮に見ていた人がいたとしても、やましい部分は何もなく「飲み会帰りにただ2人で話をしていた」で済む。

・全ての下準備が整ったところで、たろう氏はコニタンとの会話を始めた。


〜コニタンに伝えたいことがあってね。

おれコニタンにすごく感謝してるんだ。

夏に下田出張で一緒になったとき、夜遅くまでたくさんおしゃべりしたじゃない?

あの時すごく嬉しかったんだ。

おれ元々会話は苦手で会話が楽しいって思ったことはなかったんだけど、コニタンにたくさん話聞いてもらえて初めて会話が楽しいと思えるようになった。

会話が楽しくなると人生が大きく変わった。色んな人との繋がりを喜べるようになったし、仕事も前より楽しくなった。

今日の様な楽しい会が開けたのもコニタンのお陰だよ。

本当に感謝してる。

新年会もやるつもりだから絶対来てね!〜


・コニタンは少し照れながらもたろう氏の話に傾聴し、時折返答してくれた。

・そして、特別な時間の終わりを告げる鐘のごとく特急列車が駅を通過し2人の会話を遮断した。

・「...帰ろうか。」そう言って立ち上がる2人。コニタンがその場を立ち去ろうとしたその瞬間だった。「コニタン!」たろう氏はコニタンを呼び止めると耳元でこう囁いた。


・「大好きだよ...。」


・「あはは...。」言葉に詰まったコニタンは、苦笑いとも照れ笑いとも取れる笑みを浮かべてから、振り返ることもなくその場を去っていった。


・たろう氏の33歳最後の日は、妻ではない好きな異性への告白という形で幕を閉じた。

・改めて、33歳がこんな激動の1年になることを誰が予想できただろうか。

・人生面白くなってきた。これからはたろう氏の新時代の始まりだ。


(今度こそ)完