たろう氏のブログ

全てノンフィクションです

【②家庭内有事発生(中巻)〜育児とコロナ〜】

・甘い新婚生活も終わりを迎え、敢え無く魔法の力は失われてしまった。

・今から4年ほど前の長男の妊娠に伴い、夜の営みはすっかりなくなったのである。

・なんだろう、愛情が薄れた訳ではなかったのだが、自然とそういう気分ではなくなったというか。これもまた人間の本能なのだろうか。

・そして、追い打ちをかけるように新型コロナウイルス感染症が大流行。この状況で妊婦と叡智をしたいと思える訳がなかった。

・1回目の緊急事態宣言の最中、長男が誕生。子をもつことが夢だったたろう氏は心の底から灰原嫁に感謝した。

・子どもが生まれ、家庭はより一層幸せな場所になっていく。その様に確信していたものの、現実はそう甘くはなかった。

産婦人科から長男を連れて家に帰ってくるなり、しばらく灰原嫁の笑顔が見られることはなかった。

・灰原嫁は常に何かをしていた。研究者でもある彼女は育児についても研究するが如く、ああでもないこうでもないと最適解を求め続けていた。

・一方たろう氏も仕事を短縮勤務にするなど、仕事との兼ね合いの中で最大限家庭を優先したつもりだったが、家庭においては明らかに灰原嫁のお荷物となっていた。

・「これだから男は使えない」。育児を経験した女性であれば皆この言葉に共感出来るのではないだろうか。

・次第に灰原嫁の口からは「早く帰って来い!」「ふざけんな!」「ほんとお前は楽でいいよな!」「こっちは貴様と違っていつも大変なんだ!」といった罵声が発せられるようになった。

・これに対してたろう氏は「ごめんね」「おれが悪かったよ」「もっと頑張るよ」「おれも早く家に帰るから、たまにはゆっくり休んでね」といった考えうる優しい言葉を全て掛けてきたつもりである。

・仕事は毎日定時(あるいは時間休暇取得で早上がり)で上がり、子どもをお風呂に入れ寝かしつけをし、休日は朝から晩まで世話をした。また、コロナ感染の心配も含め外出は可能な限り控えた。

・子どもが生まれてから3歳になるまでの3年間でたろう氏が参加した飲み会はたったの2回。この数字が事の深刻さを物語る。

・全ては家庭のため灰原嫁のため。そう思い辛抱し続けてきたが、たろう氏は人間の忍耐力に限界があることを知った。

・元々たろう氏は忍耐力に自信のある方だった。大学受験においては、多い日で1日15時間程度勉強し続ける事もあったし、大学3年の時に経験した東日本大震災においては、帰宅難民となりながらも都内から千葉県の自宅まで14時間かけて自力で歩いて帰った。自身の中学校の卒業文集につけたタイトルは「為せば成る」である。

・忍耐に日本人さながらの美徳を感じていたたろう氏であったが、その類の人間が忍耐を辞めた時の反動は凄まじかった。

・「うるせぇな」「知らねぇよ」「いい加減にしろ」と言った心無い罵声は次第にたろう氏の方からも発せられる様になっていた。

・もはや自分がどんなに頑張っても無駄であるという感情が芽生えてからのたろう氏の冷め具合は尋常ではなかった。

・最初は育児に関する喧嘩だったものが、次第に互いの人間性を否定し合う泥試合に発展していった。

・几帳面なたろう氏は灰原嫁のガサツな部分が特にカンに触った。

・気まぐれな灰原嫁はきっちり何でも決めたがるたろう氏が気に入らなかった。

・あんなに愛し合っていた2人がどうしてこうなってしまったのか。

・むしろ、よく結婚したなという気持ちにすらなってくる。

・「子はかすがい」というものの、我が家にとってはその逆であるように思えた。

・「もう、あんたとは一緒にいたくない。長男がもう少し大きくなったら、あたしはこの家を出ていく。貴様はシングルファザーにでもなりやがれ」いつしかこれが灰原嫁の口癖となっていた。

・「そんなに一緒にいたくないなら今すぐにでも出ていってくれよ」心の中ではそう嘆きながらも、「出て行かないでくれ」と心にも無く灰原嫁を説得し続けるたろう氏であった。


つづく